わたしの心は落ち着き、痛みの中から、恐怖が消えていきました。

投稿日: カテゴリー

わたしは去年の年末に右卵巣を取る手術をしました。

たいした手術ではないと言われていたのですが、麻酔から目覚めると右の下半身がもぎ取られたような痛みで、もだえ苦しみました。

あまりの痛さに、手の甲に爪を立てて、痛みを紛らわせようとするのですが、そんな痛みなどまったく感じないほどの激痛でした。
息も浅くなり、言葉もうまく発することができず、ただ、うめくことしかできません。

看護師さんに痛み止めを頼み、それが効いてくるまでの間は、地獄の苦しみでした。

痛みがいっぺんに襲い掛かってくる中で、藁にもすがる思いで、学んだばかりのコネクションプラクティスを試してみようと思いました。
まずNVCで自分の感情を拾い出し、その奥に隠れているニーズを探りだします。
そして、ハートフォーカス、ハート呼吸、ハートフィーリングと、順序立てて行っていく中で、痛みの中にもいろいろな色をしたものがあるように感じられました。

中でも、自分の痛みの中に見つけたのは、「大事な卵巣を取らなくてもよかったんじゃないの?なんで取ることにしたの?」という嘆きや怒り、悲しみの気持ちでした。

その背後には、「人間の臓器は、メスを入れて取るべきものではない」という考えがわたしの中ににあったのです。
それに反して「手術は必要だった。切るべきだったのだ」というもうひとりの自分がいました。
そのふたりが心の中で、それぞれお互いを責めあっていたんですね。
どちらも、自分自身です。
わたしが決断したことについて、もうひとりの自分が責めている。
そして、責められた自分がさらに怒って、悲しんでいる。
そういう心理状態が見えてきました。

この痛みをさらに深く見ていくと、この痛みは、どこかで学んだことがあることに気づきました。それで思い浮かんだのが、「スピリチュアルペイン」という言葉。
訳すと魂の痛みです。

これは、おもに終末医療で起きる痛みについての医学的な専門用語です。
身体的な痛みや、社会的な痛みなど、種々の痛みがあるなかで、わたしたちが生命の危機に瀕すると、なぜ生き、なぜ死んでいくかといった、人間存在の根本に関する、魂の痛みというのが現れるそうです。
これは西洋のキリスト教文化に由来するものなので、スピリチュアルペインとそのまま訳さずに使うことが多いそうです。

わたしは卵巣を取ることなど、たいしたことがないとずっと思っていました。
しかし、臓器をひとつ摘出するというのは、心のとても深いところで、非常な「悲しみ」が伴うものなのかもしれまえん。
深層心理の中にある悲しみの感情を、コヒーランスをすることによって、はっきりと見極めることができました。

「ああ、悲しかったね」わたしは、自分の「魂」に語り掛けます。
すると、痛みがほどけて、少し痛みが引いてきます。そして、今度は「手術を決断した自分」の知性と決断力に語り掛けます。

「ありがとう。自分の身体を守ろうとしてくれたんだね。」すると、さらに心が落ち着いて、痛みがシンプルなものになっていきました。
「卵巣はなくしてしまったけれど、そのぶん、力を合わせて頑張っていこう」そう、からだと心に語り掛けると、自分自身がひとつに統合されて、それまでにない平和な感覚が、心の中にあふれてきました。
痛み止めも効いてきたのでしょう。
わたしの心は落ち着き、痛みの中から、恐怖が消えていきました。

自分の心は自分が一番知っていると思いがちです。
しかし、なぜパニックを起こしているのか、なぜ悲しいのか、なぜ絶望しているのか、わからないまま、感情の塊に圧倒されることはよくあることです。
まずNVCで、自分の感情とニーズを探り当て、それに光を当てることで、心は整理されます。
さらにコヒーランスで、直感に聞くと、とても心の奥深いところに光が当たります。
コネプラを学んでいて、本当によかったと、手術の日に思いました。

次の日には、痛みはずっと減っており、さらにその次の日、わたしは痛み止めなしで過ごすことができ、その日の午後には退院しました。
そしてひとりで電車に乗って家に帰りました。

卵巣を失った喪失感は、自分が人生の舵を取っているという自信と、すがすがしさに変わっていきました。

自分の心が平和なら、他人が自分にどんな態度を取ろうと、どんなことが起きようと、幸せでいられます。

コネプラを学んでよかったと思っています。

横浜市在住、女性